Blue Giant

仕事に埋もれながら、部屋を片付けないとなぁ、、と思ってました。

実は、ほとんどのものが必要なくて、この小さな机が1つあればほとんど事足りるんじゃないかと思いながら、キツかった給与締めが終わったので、思い切って映画を見に行くことにしました。

ずっといきたかったBLUE GIANT。

道路の渋滞で遅くなって、思いもかけず次回上映まで時間ができて、狼狽えてしまった自分がいました。いままではいつも何かに追われていて、逆算してからギリギリの中で映画を楽しんできましたが、今日は何もやることがない時間が偶然手に入ってしまったのでした。

ここのところずっと 華奢+オールバック+ボーイッシュ+お洒落 になりたいなーと本格的に思うようになってきて、どんなファッションがいいかな~などと、気を取り直して久々にウィンドウショッピングをしました。春仕様の黄緑色の可愛いサンダルがあって、これを挿して履いたら、すっごいいいな~とか、ワクワクしました。

最近は仕事で究極まで強くならないと、という感覚がすっかり消えて、普通の女の子?としての楽しみみたいなモノをあじわってみてもいいのかなぁと。まぁ、ジェンダー的に自分は女性なんだか無性なんだかはわかんないんですけども(わたしはただわたしなので、どうでもいいかな・・・ってとこですが)。可愛いのも格好いいのもどっちもいいなと思うので。

色々散策したあと、前の客がパンフレット買ってるのをみて、びっくり。レコード型のジャケットじゃん!って。そんなわけで買ってしまいました。(そしていま、壁にピンではられておりまする)

原作読んでる人は知ってると思うけど、ピアニストのユキノリは工事現場で交通誘導員をやってます。危ない現場なんだなとあらためてしみじみ思いました。
人が生きていてくれること。出逢ってくれることの奇蹟を、改めて感じました。

演奏はどれも良かったな。特にラストの演奏がすきだった。
ドラムから聴こえてくる「終わらせたくない」をみんな感じたんじゃないかなぁ。
ユキノリのあの静かな美しい演奏も、大の大でしかいられない覚悟も・・・ 

途中からはほんと音楽特有の言葉に表せない感動があった。しかしあれは映像もあっての感覚だとも。ほんとうに映画って総合芸術だなと思います。

激しい内容の後の静かな余韻もとても良かったです。

帰りに、19歳からのいろんなことを思い出しながら、ら・ら・ミュウの埠頭でぼんやりしました。

みんなと感動を分かち合いたいという想いもあったけど、いろいろなことを、静かに自分に深く問いかけていました。

大は、ジャズは感情の音楽だ、それを表せるようになりたい、といってて。


今日のわたしは、過去、原作で流し読みしてしまっていたであろうこの部分を、ものすごく重く受け止めました。

いまの・・・わたしにとって、音楽とは。

いまのわたしは・・・ 自分のなかになにも感じられず、何を出そうとしているのかわからなくて。だからわたしの音はいつも乱暴なんだと思う・・・ 

感じられないわけではなく、集中できていないために取り出すことができないだけかもしれない。

なぜなら歌の時は、何も考えなくて良かった。
歌を歌わずには、いられなかったから。」(・・・・・・・・・・・・・・・

わたしがジャズ研で出会った恋人は、音楽には、魂の音楽と心の音楽が有るとおもうんだよ、といっていた。心理学科だったからなのか、本当に音楽にそれを感じていたのか、こんな言葉がわたしにどれだけの影響をあたえたか、彼はきっと知らないでしょう。

そして、わたしの魂と心が分離してしまったのは、たぶんこのとき。
この人を知りたい、と深く思い、あのとききっとわたしは、旅に出た。

そのずっと後、わたしを生き返らせてくれた恋人は、感情をなによりも大切にするように教えてくれて、わたしをこの魂と心の関係の迷路から救い出してくれました。

感情とは、その人が生きていくための灯火となりうるもの。
そしてわたしを、魂へ連れて行ってくれるもの。

魂とは、表現できるものではなく、あらわれるものだということ・・・。


この気付きが、旅の終わりと、新しい旅の始まりでした。

しかし大の言う感情とは、いわゆる感情とはまた違う気もする。

偉大なジャズマンには、武士の持つハラの座りや呼吸の深さから生まれる、存在の凄みがあるように感じています。

なにかその存在のすごみの醸し出す色気に、やられてしまうのかもしれません。

昔の私だったら、きっとそれぞれのもつ「力」に、憧れていたかもしれない。

でも。今は違う。

わたしは、この映画に出てくる誰とも違う、わたしだけのわたしになりたい。

わたしのなかにある感  情ソナーが本当に反応するモノ。

その先にあるわたしへ向かいたいし、それを深く、わたしだけの輝きで満たしていたい。

それを表してくれるものがなんなのか。
あるいはひとなのか。

誰よりも臆病なユキノリは、私によく似ている。
傷つくのが怖くて、さらけ出す勇気が持てなくて。


いまはまだ、わたしには確固たるそういうものとの出会いが無いのかもしれない。
あるいは、有るけど目が覚めていないのか。

ほんとうは、音楽や楽器だって、別に必要なわけではないのかもしれない。でも人は、1人では、自分のことがわからないから、人を必要とするように、手にするものではあるのかな。

でもきっとね・・・ほんとは、そんなことはさ・・・ どうでもいいことなんだと思う。

わからないけど、こうあるべき、という道はなくて、わたしが幸せに感じる道を、歩いていった先に、きっと探してるものが有るとどこかでうっすら信じながらも、そのことさえも忘れてしまうくらい、いま静かに部屋の中のモノたちと向き合っています。

今日1日は、わたしのためだけに使う日。

静かに、深く、自分に潜り、そっと叩き、返ってきた音を頼りに、自分を感じる日。


なにか、卵の殻が割れそうな、なにかと混ざり合わさりそうな、そんな予感がする夜です。


そうだね。
答えなんて出なくても、とても幸せな夜。

DIARY

Posted by とも