新しいフェーズへむかう

仕事は、ほんと現場から足が抜けてきた感じがあります。

逆に質量が増大しているのが、パーソナルエリア。

keikoさんのワンド商品をみたのをきっかけに、自作ワンド作成熱がもえあがり、ケルトのオガム文字の本を発注し、留学して魔術を学んだ人のキンドル本すでに2冊に目を通し。自作ワンドのためにウッドバーニングとエレクトロフォーミング技術を年内にでも学ぶ予定です(意味不

ていうか。魔術入門書が読めて理解できるようにまで育ってたwっていうか、わたしの人生、魔術師の生き方そのものにちかすぎることがわかった。これは・・・なる必要ないわ、ええ・・・。

実は、近所の大切な友達に頼まれて、荒廃した地元の神社をなんとかしないと

というのに、非力ながら力を貸しています。

スクナヒコナさまタッグが、そこの主祭神のようす。

道祖神様もいらっしゃって、木彫り男根がやまもりのため、たぶん女神様。

稲荷様もいるかんじです。

ただ、そこの直ぐ側に、防空壕だった場所があり、戦時中にたくさんのご遺体が埋められたとかで。

更に、境内のそばで自死をされた方もいらっしゃるとかで。

誰も近づかず、荒れ果てた神社と、隣接している神主様宅を始め、近隣地域の原因不明病災が大変なことになっていると、霊感が有る彼女から告げられまして。

だがしかし、ええ、0能力ですとも、おいら。そういう力なんもねーから!!!(じまん)

さてどうしよう、ととりあえず、わたしのあらゆる人脈を使って、彼女の人脈範囲をハイパワーに設定。手水舎の掃除から始めるため、まずは管轄の神主様へのお土産。酒・コメ・塩・お花をご用意した。

清掃は彼女がやるといっているので、問題は・・・

死に対するこの本能的な恐怖を消すには、と考えていたのだけども

気が付きまして、後日に、愛機をこっそり出撃させることにしました。

この子と行けば、大事にはならなそう。

わたしは、ずっと、奉納演奏、というやつを嫌ってきた。

のですが、こういう事態に向き合ってはじめて、祭事というものに、楽器が動員される意味がわかった。

此方とむこう、双方を、場に器と境界をつくることで、交流させながら、互いを守るんだなぁ。

出撃といっても、すぐではなくて。

今日ずっと考えていたんだけど

あえて簡易な即興の領域を学び

鎮魂に必要なことを考え、感じて、つかむこと。

それが必要なのかなと思い、そのうち、ハッとした。

療法音楽の頃は、対象者の心を、ほんとうの意味で想い、いたわれたことがあったのかと。

どうやれば適切な音だ出せるのか、と、自分のことばかり考えていたのではないか。

寂しい、苦しい、辛い。孤独。

聖霊だろうが悪霊だろうが、どんな存在でも、それは辛いことだと思う。

誰かが自分の存在に感謝してくれて

一緒に時を過ごしてくれたら、きっとすこしは安心かなっておもったら

ネットで見かけて胸に刺さった、自死への、きついいろんな言葉がけが、溶けていった。

改めて、音楽とはなにか、ということを考えてます。

相手が感じていることを想像し

何が安心感を相手に生むのかを、考え、感じ、表現して、伝える。

除霊がとか、意味のわからん霊的な対応よりも

真心のが、ずっと必要なんじゃないかと、自己の中の死へ恐怖を鎮めてみると、おもったんだよね。

そのためには、自分がどうあるか。

どんな音楽を奏でるのか。

研鑽だけでなく、立場や態度も鮮明にしないとならないなと。

生きるとは?死ぬとは?どんな風にうけとめて、おくりだすの?

そういえば、すずめの戸締まりを、先日彼女に進めて、とうとう6回目、みることになりました。

地元の小さな神社の崩壊は、地域のコミュニティの崩壊を象徴しているのだと感じてます。

神社が後戸化しているというこの現実は、わりと私の胸を激しく刺しました。

自分自身についても棚上げはできず、わたしもろくな氏子でないため、原因の1つです。

小さな頃から私が探してきた、土地や自然と人の絆。人と人の絆。
それが崩壊しているのが、この地域の現実で、大きな流れの中ではあるが、非力でもなにかしたいと。

音楽は細分化し、人間性を喪失した。人間も細分化し、文化や愛を喪失したんだな。。

素朴な即興に触れてみて、その言葉の意味が今、なんかわかる。

縁起と言うけども。別にたいそうなことじゃないんだなとおもった。

必要なこと(A)が起きると、そのために必要なこと(B、B’)が、連鎖的に起こる。

BやB’を見てる人は、世の中不要なことばかりというとおもうんだけど

人間の存在も、同じだと思う。

意味なく生まれてきた人はいない。

皆がいるから、私がいる。

あなたのおかげで、わたしがいる。

死んでいった人たちの干渉した世界が、私に干渉して、私を支えている。

知らない人たちだけど、そういう意味で、もう縁者なんだと思う。

死と音楽と対話と即興。

とても大きなテーマがぶち込まれたけども

必要なことは、結局は、心なのだと思う。

魔術の世界では、アストラル界という場所から、象徴などを使って、無意識の世界を操作する、とあった。無意識の世界を直接操作することは不可能だと言われている。

音楽で此方とむこうとのあいだに関係を作るには、器をつくりだして、象徴を見つけ出す必要があるのかなと、照応関係を考えると、古代の音楽というものを学ぶ必要があるのかなと。やはり教会旋法なのかな・・・

うん。
久しぶりに師匠と会って、深く話してみたいなと思えた日でした。

ちなみに、主祭神のスクナヒコナ様、すきかも・・・・

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Posted by とも