男子、三日会わざれば刮目して見よ

お世話になっている先生の院が、30周年記念ということで、朝四時に起き、お花を都合して受診してきた。

身体がめちゃくちゃになってたのがよくわかった。ドッグにもどるボロボロのガンダムみたいな感じ。

先生と知り合って、どれくらいになるかなあ、、

はじめは伝統武術の師を持っていた先生は、誤解が生まれて、師に破門され、いまは以前の硬派な院名でなく、ダジャレみたいな名前の院に変わっていて。

でも、相変わらずたくさんの人に囲まれて、たくさんの人のために日々働いてらっしゃる。

わたしが先生を好きで通うのは、腕もさることながら、卓越したユーモアセンス。

かなりスピリチュアルな治療なのだけど、治療以外は常識的な雰囲気がつよく、安心してお話しできる。

30周年ときき、ここに通い始めた頃の自分を思い出すと、今の職場に勤めてからの自分は、その前とは全く違う人間になったなと思った。

特にきつい介護作業にかかわってからは、うまれてこのかたずっと探してきたものを見つけ、自分を修理することをやめた。自分に素直につながることも、人を愛することもできるようになった。

どんな特別なものも必要ないと思うようになった。

ゲッターズ飯田の占いによると、わたしは

目的を持たない芸術家

というタイトルのつく人間だそうだ。

昔はそれを恥ずかしいと思っていた。

自分を取り戻す道の途中に出会った、スピリチュアルな人たちと出会っては物別れするうちに、それこそが、わたしが求めてきた生き方なのだと、合点がいくようになった。

真実を求め、正しさや美しさを追求すればするほど、人は原理主義に向かってゆく。

わたしは、ただしさが自分を信じることであるならば、自分を信じられなくて良いと思っている。

目的を持てば、必ず基準が生まれ、基準が生まれれば、人は必ず絶対を求める。

わたしは不安定な現実のなかにただあることを、そっと選ぼうと思う。とてもしんどい選択だ。そして、このこと自体がただしいともおもわない。

私にとっての最適解は、ゆるく、てきとうであることなのだ。それは、厳しい基準を持ってしまいやすい感覚を持って生まれてしまった私が、世界と調和してある為の、大切な常識というものなのかもしれない。

ただしくつたわるものは、世界には存在しない。

昔と違って、それを諦めることもできるようになった。

誰もが完璧でなく、それでいいんだと、おもうから。

DIARY

Posted by とも